東京高等裁判所 昭和40年(行コ)28号 判決 1966年6月06日
控訴人(被告) 東京都知事
被控訴人(原告) 財団法人文化学園
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠関係は、被控訴人および控訴人において、法律上の主張として、それぞれ別紙各準備書面記載のとおり述べたほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
理由
一、被控訴人は、昭和二三年六月一二日民法三四条により文部大臣の許可を得て設立された財団法人であつて、学校教育法八三条にいう各種学校を設置し、その所有にかかる原判決添付物件目録記載の本件土地建物を右学校において直接教育の用に供していたところ、東京都千代田税務事務所長(以下、千代田所長という。)が、右土地建物は地方税法三四八条二項九号所掲の固定資産に該当するものと判断し、昭和二八年九月一七日付通知書をもつて、右土地建物に対し昭和二八年度以降の固定資産税につき非課税の取扱いをすることに決定した旨を被控訴人に通知したこと、しかるに、同所長は昭和三六年一〇月一〇日付徴税令書により、右土地建物につき、昭和三二年度に遡つて被控訴人主張の固定資産税(税額合計二二七万七六九〇円)を賦課したこと、そして、右税額徴収のため控訴人が昭和三七年九月一二日右の土地を差押えたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
被控訴人は、千代田所長がした右固定資産税賦課処分は無効であるから、これに基く控訴人の差押処分は違法であるという。よつて以下、被控訴人が右固定資産税の賦課処分を無効とする理由の各点について順次判断する。
二、被控訴人は、まず、被控訴人において直接教育の用に供している本件土地建物は、地方税法三四八条二項九号の立法趣旨からして、これに対し固定資産税を賦課することは許されないものであると主張する。
しかし同条号の規定は、被控訴人のように民法上の財団法人であつて、私立学校法六四条四項の法人(以下、準学校法人という。)でないものの教育用固定資産については、その適用がないと解すべきこと原判決理由の説示するとおりである。
三、つぎに、被控訴人は、千代田所長がさきに昭和二八年九月一七日本件土地建物についてした前記非課税取扱いの決定通知は行政処分(行政行為)であると前提し、右決定が取消されない限り、本件土地建物に対し固定資産税を賦課することは許されないと主張する。
しかし、右のような非課税取扱いの決定(処分)を規定した根拠法規はないので、かような決定通知があつても、それにより免税その他何らの法的効果を生ずるものでなく、これを行政処分と解する余地のないこと原判決理由の説示するとおりである。
のみならず、後記四で認定のとおり、千代田所長はあらかじめその職員を通じて、被控訴人に対し本件土地建物に固定資産税を課する旨予告し、これに対し被控訴人から前記非課税取扱いの決定があるとの反論を聞いたうえで、本件固定資産税の賦課処分をしているのであるから、右により前の非課税取扱いの決定を取消し、または撤回する趣旨は明らかにされているということができる。
四、最後に、被控訴人は、千代田所長がさきに非課税取扱いの決定をしてその旨被控訴人に通知しながら、その後になつて、過年度に遡つて課税したことは、禁反言の法理に反し、無効であると主張するので、この点につき考察する。
被控訴人主張の禁反言の法理とは、いわゆる表示による禁反言をいうものと解されるが、その趣旨は、自己の言動(表示)により他人をしてある事実を誤信せしめた者は、その誤信に基き、その事実を前提として行動(地位、利害関係を変更)した他人に対し、それと矛盾した事実を主張することを禁ぜられる、とするにあるものと考えられる。そして、一般に、禁反言の適用される表示とは、事実の表示であることを要し、単なる意見もしくは意向の表示では足りず、また、禁反言の適用を認めると違法な結果を生ずる場合には、その適用を阻却されると解されている。
ところで、本件事実関係をみるに、成立に争いのない甲第一号証、第八号証、第三号証の二、第七号証、原審証人大嶋虎之助の証言および当事者間に争いのない事実その他弁論の全趣旨を総合すると、つぎのように認定される。
被控訴人は昭和二三年六月一二日文部大臣の許可を得て設立された民法上の財団法人で、その設置する各種学校において本件土地建物を教育の用に供していたものであるが、昭和二五年三月一五日私立学校法(昭和二四年一二月一五日法律第二七〇号)が施行され、その第六四条第四項で各種学校の設置のみを目的とする法人(準学校法人)の制度が設けられ、従前の民法による財団法人で各種学校のみを設置しているものは、同法施行の日から一年以内にその組織を変更して準学校法人となることができるものとされた(附則六項)。また、昭和二五年七月三一日には旧地方税法が廃止されて新地方税法(同日法律第二二六号)が施行されたが、その第三四八条第八号(改正第九号)によると、私立学校法六四条四項の法人(準学校法人)が設置する各種学校において直接教育の用に供する固定資産に対しては固定資産税を課することができないものとされ、民法による財団法人については、その設置する各種学校で直接教育の用に供する固定資産も非課税とはされなかつた。
被控訴人はその頃、右私立学校法(附則六項)による組織変更の可否を考慮した際、税金問題も検討したのであるが、学校の教育用土地建物については、従前の財団法人のままでも固定資産税はかからないと誤解し、そのため右私立学校法による準学校法人への組織変更の手続をとらなかつた。そして、千代田所長も前記新地方税法三四八条の解釈を誤つたものか、被控訴人の本件土地建物に対し固定資産税を課することなくして経過した。かような経緯のもとで、被控訴人は昭和二七年暮頃、千代田所長のすすめもあつて、本件土地建物につき固定資産税非課税申告書を提出し、これに対し、千代田所長は昭和二八年九月一七日付で、被控訴人の申告にかかる右土地建物は地方税法三四八条二項九号の固定資産に該当すると認められるので、非課税の取扱いをすることに決定した旨被控訴人に通知した。それで被控訴人は右の誤解を深くし、本件土地建物には将来とも課税されることはないものと信じて学校の経営を続け、準学校法人になる手続もとらなかつたところ、千代田所長は昭和三六年六月頃、その職員を通じて、右土地建物に固定資産税を課する旨予告し、これに対し被控訴人から前記非課税取扱いの決定通知があるとの反論も聞いたうえ、同年一〇月一〇日付徴税令書により、昭和三二年度に遡つて昭和三六年度まで五か年分の固定資産税を課した。この課税処分に対して被控訴人から訴願、訴訟による法定の不服申立はなかつた、にもかかわらず、被控訴人が右固定資産税を納付しないので、控訴人は昭和三七年九月一二日右徴収のため本件差押処分に及んだ。
以上のように認められ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない。
右のとおり、本件の場合、千代田所長は昭和二八年九月一七日付で被控訴人に対し非課税取扱いの通知をした。しかし、この通知が免税その他何らの法的効果を生ずるものでないことは前記認定のとおりであつて、それは、単に、本件土地建物が地方税法三四八条二項九号所定の非課税の固定資産に該当すると認められるという所長の見解、ないし、その見解からして当然右土地建物については非課税の取扱いになるという部内の方針を、便宜、文書で被控訴人に知らせた事実上の措置にすぎない。また、被控訴人としても、右通知があつたのでそれではじめて本件土地建物が非課税であると誤解するに至つたとか、本来は課税されるべきものなのを右決定通知により免税になつたと誤信したとかいうのでない。まして、右通知による誤解、誤信のゆえに被控訴人が特段の行動をしたというのでもない。(そのような事情を認めるべき資料は存しない。)被控訴人は従前より本件土地建物は非課税と誤解しており、それゆえに私立学校法附則六項による組織変更もしなかつたのであつて、ただ、右通知により、被控訴人はその誤解を深め、安心して従来どおりの学校経営を続けたというにすぎない。(仮にこのような通知がなかつたとしても、千代田所長が右誤解のもとに事実上非課税の取扱いを続ける限り、同じように、被控訴人もその誤解を深めて、そのつもりで学校経営を続けたであろうことは推測にかたくないところである。)かような誤解に基く違法な取扱いは少しでも早く是正されるべきであつて、千代田所長が昭和三六年になつてこれに気づき、法の令ずるところに従い、法の許容する範囲内で昭和三二年度まで遡つて本件課税処分をした、これを禁反言の法理に反するものとして無効ということはできないものといわねばならない。
もつとも、法の解釈・適用の誤りに基く違法な措置にせよ、右のように長年にわたつて課税庁が非課税の取扱いを続け、そのため納税者の方も非課税と信じてそのつもりで経営経理を続けてきているとき、一度に、過年度に遡つて多額の課税をすることにより、納税者は甚大な支障、不測の損害を受けることがないとはいえず、事情いかんによつてその救済が考慮されねばならぬ場合もあり得ようが、本件の場合、被控訴人の全立証によるも、本件課税処分が禁反言の法理ないしはそれを含む信義誠実の原則に違背し、当然無効と解すべき理由をみいだすことができない。
五、以上説示のとおり、千代田所長のした本件固定資産税の賦課処分を無効とし、その徴収のため行われた控訴人の本件差押処分を違法ということはできないので、これを違法としてその取消を求める被控訴人の請求は棄却するべく、これを認容した原判決は失当として取消すべきものとする。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 福島逸雄 武藤英一 今村三郎)
(別紙)
準備書面(被控訴人)
一、国家または公共団体の課税の機能によつて制定された租税法規の内容には抽象的課税債務関係として国家の債権の基礎として何等特別な行政行為を要しない法領域―課税要件の実現によつて成立―と、課税要件に適合して成立した租税債権を実現するための行政的活動をしなければならない法領域―行政庁の行政行為によつて成立―が存在し、両法域は客観的には、区別独立的に成立しながらも内容的には両者は互に相関関係にあると理解されなければならない。
若し、法規の設定(存立)だけで足るものとせば国家又は公共団体は、唯課税要件に適応した負担を内容とする給付を受領する金庫制度の存立を取計えばよい。
例えば、印紙の使用による租税の徴収、納税義務者が租税行政庁の必要な要求(賦課行為)なくして金庫に対して支払うべき申告納税制度がそれであつても、法規が租税義務の目的としたことを租税債務者が完全な範囲において果したか否かの事後審査と完全な履行を命ずる可能性を行使する範囲において、なお、行政活動によらなければならない。況んやかかる課税以外の課税、税の徴収については法文の規定があつても行政庁の法律上許容され義務とされた事項は自己の権限として行わなければならない。
二、課税の領域における国家又は公共団体の行政的行動の主な舞台は、租税債務を実行するにある。租税債務の確認、その結果として租税額の決定(課税標準の決定、税率の適用)、徴収命令、並びに租税債務等に対する通告、債務の履行に対する受領、必要な場合における強制手続等これら一連の所謂租税手続がある。
これらの手続は租税実体法の基礎の上に成立する租税債権実現の為の行政法的権限の行使が中心であることは謂うまでもない。同時にそれは行政庁の組織に関連する。
三、租税行政法域において法規によつて規律せられる関係は租税債権者(国又は公共団体)租税債務者との間にのみ成立するものではない。
租税行政法的権限行使のために法規によつて国家又は公共団体の公権力を代表する租税行政庁の顕現(発動)をみるとき、そこには一対の権利主体が創造され、対立する法律関係が生ずるのである。租税義務者即ち公権的行為の相手方は行政法上の相手方としてそれに相対立するに至る。それらの関係を図示すれば次の通りとなる。
図<省略>
四、租税行政関係と租税債務関係は厳に区別されなければならない。何となれば租税債務関係は法治主義的に構成された平等的基礎の上に認められる関係であるし、租税行政関係においては官民的対立の色彩が強いのであるが民主主義的近代国家にあつては権利保護の保障を中心とする法制が著しい特徴とされている、即ち権利保護の作用を意味する租税法律主義が建前となつている。
しかし、行政行為に対して保障される権利保護のうち、最も重要なことは税額決定―課税要件の確認の結果を根拠とする租税請求の通告―は特段の地位をもつていることは説明するまでもないところである。
五、本件は、被控訴人に対する千代田税務事務所長がした、被控訴人所有の「土地・家屋」に対して、固定資産税を課することにつき「非課税の取扱をすることに決定」したから「通知」するとしたことに対するものであるが、そのことが行政処分と謂うか否かに議論の余地があるにしても、その決定および通知が、前に述べた意義の租税行政関係であることに疑いはない。してみれば該決定は未だ取消されてはいない。従つて該決定が存する限りにおいて固定資産税は課せられない筋合であるのに、同税務事務所長は遡及して同税の納付を通告し、強制徴収の挙に出たのであるから、本件滞納処分が取消されたのは洵に当然と謂わなければならない。
六、右の取消について、原審判決が、禁反言の法理を適用して、違法な行政処分を取消したのは極めて正当であるのみならず、その説示懇切叮寧法理上余薀がないし、被控訴人の遡及して一時にこれを負担すべきものではない実情にも恰当している判示が詳細になされているのではないか。
七、本件の焦点は、非課税の取扱をすることに決定したとの通知が問題なのである。これに対し、控訴人の主張は、行政行為の無効を主張するのか、行政行為が不存在だとするのか、将たまた行政庁の無権限を主張するのか、行政行為の内容の無効を主張するのか、その謂うところ、引例するところ全く理解し難い。
被控訴人は、それ等の諸点が明らかにされたところで、更に駁論を試みたい。
準備書面(控訴人)
原判決は「東京都千代田税務事務所長が非課税決定をして、その旨原告に通知しながら、その後に至り、過年度に遡及して固定資産税を賦課したことは、禁反言の法理に反する」という趣旨の被控訴人(原告)の主張を容れているので、控訴人は、この点に対して、次のとおり反論する。
一、この点に関し、原判決は、自己の過去の言動に反する主張をすることにより、その過去の言動を信頼した相手方の利益を害することの許されないことは、法の根底をなす正義の理念より当然生ずる法原則(以下禁反言の原則という。)であり、公法の分野においてもこの原則の適用を否定すべきいわれはないという。
思うに過去の誤りのある言動を信頼した相手方の利益と、その言動を是正することによつてその者の受ける利益とが、いづれも私人の私益に関するものであり、その間に軽重が認められない限りは、原判決のいうように禁反言の原則を適用することが正義に合致することもあるであろう。
しかしながら、例えば民法第九〇条に違反する過去の言動を信頼した者の利益と、その言動を是正(例えば撤回)することによつてその者が受ける利益のように、前者に比して後者が明らかに大きいときには、禁反言の原則を適用することなく前者を捨てて後者を取ることこそ正義に合致するものである。
同じことは、利息制限法に違反する高利を授受することを約した過去の言動を信頼した者(貸主)の利益とその言動を撤回する者(借主)の利益との比較においても妥当することであつて、前者を捨てて後者を取ることが正義に合致するものであるからこそ、最高裁の判例は「債務者が利息制限法所定の制限をこえる金銭消費貸借上の利息、損害金を任意に支払つたときは、右制限をこえる部分は、民法第四九一条により、残存元本に充当されるものと解すべきである(昭和三五年(オ)第一一五一号同三九年一一月一八日大法廷判決)。」といつているのである。
本件において、被控訴人が非課税決定を受けたことによつて受けた利益と、その非課税を撤回することにより控訴人が受ける利益とを比較するのに、その性質において、前者は一私人の私益であるのに反し、後者は公益である点において、前者に比し後者は明らかに大であるのみならず、その内容においても、前者は本来納税すべきであるのに、たまたま千代田税務事務所の係員の誤解により偶然に納税しなくてもよいという期待を持つに至つたことを内容とするに過ぎないのに反し、後者は法律によつて絶対徴収すべきこと、従つて放棄することができないことを命ぜられている課税処分をすることを内容とするものである点において、前者に比して、後者は明らかに大であるから、前者を捨てて後者を取ることが正義に合致することは明らかである。
要するに、本件においては、禁反言の原則を適用して本来納むべき税を免れしめることよりも、本来納むべき税を納めしめることがより高次の正義に合致するというべきであつて、禁反言の原則を適用する余地はないものであり、この点において原判決は誤つているといわねばならない。
二、原判決は、本件に禁反言の原則を適用する理由の一として、「相手方に利益を付与する行政処分については、その処分が違法であつても、処分庁が後にこれを自ら取り消すことには制限があるとする法理」があるとしている。
しかしながら、右法理は、行政処分に取り消し得るに過ぎない瑕疵がある場合換言すれば一応有効な場合に関するものであつて、本件のように行政処分が無効である場合に関するものではないのである。元来、本件の非課税通知は行政処分ではないのであるが、仮に行政処分であるとしても、その内容が法律上不能であることが明白であるから、無効なものである。そしてこのような当然無効な行為は当初より効力を生ずる余地がないのであるから、これを対象として、これを取り消して遡及的に失効せしめるとか、これを撤回して将来に向つて失効せしめるとかする余地も必要もないものであり、従つてまた取消しの制限とか撤回の制限とかを論ずる余地も必要もないものである。
換言すれば、取消権行使制限の原理なるものはあるが、無効制限の原理なるものはないのである。この点において、原判決は第一に、性質上本来本件に妥当しない原理を無理に本件に適用しようとしている誤りがある。
なお、取消権行使制限の原理は、当該違法な行政処分によつて私人が受けた既得権を侵害するについて公益上の理由のない限りにおいてのみ認められるのであつて、本件のように本来課税すべきものを課税するという正に公益上の理由のあるときには認められないのである。この点において原判決は第二の誤りをおかしているものである。
三、次に原判決は、本件に禁反言の原則を適用する理由として「(原判決のいわゆる)事実上の行政作用を信頼して行動したことにつきなんら責めるべき点のない誠実善良な市民が行政庁の信頼を裏切る行為によつて、まつたく犠牲に供されてもよいとする理由はないものといわねばならない」と述べている。
しかしながら、法律の規定と事実上の行政作用とは同段位にあるものではなく、前者が優位の地位にあり後者が劣位の地位にあるものあり、若し前者と後者とが相矛盾したならば、後者の効力が認められないものであることは多言を要しないことである。原判決はこれを同段位のものとして扱つている点において、第一の、そして根本的な誤りがあるものである。
そして、本件においては、法律の規定を見ると、被控訴人が非課税法人に該当しないことは明らかであるから、千代田税務事務所長が事実上の行政作用として、それと矛盾する非課税であるとの通知をしたとしても、その効力が認められないことは客観的に明白である。従つて被控訴人が仮に非課税通知が有効であると信じて行動したとしても、そのことをもつて、被控訴人が「なんら責めうるべき点のない誠実善良な市民」であるとなすことはできないし、また行政庁たる千代田税務事務所長がこれを是正したことをもつて「信頼を裏切る行為」をしたとすることはできないものである。刑法においては法の不知は犯意を阻却しないといわれているが、本件においても、被控訴人が法律の規定を誤つて解釈していたとしても、そのことによつて同人が「なんら責めうるべき点のない誠実善良な市民」となることはないのである。して見れば、原判決は故意に被控訴人を「誠実善良な市民」として扱い、故意に千代田税務事務所長を「信頼を裏切つた」ものとしている点において第二の誤りをおかしているといわなければならない。
更に思うに、本件においては、非課税通知なる事実上の行政作用は元来効力の認めらるべきものではないのであるから、これを是正して法律の規定のとおり課税せしめられるに至つたことは、被控訴人に対して「犠牲」を強いたことにはなり得ないものである。換言すれば、被控訴人としては、本来納むべき税を免れそうになつていたのに免れ得なくなつたというだけのことであつて、なんら「犠牲」を強いられていないのである。して見れば原判決は第三の誤りをおかしているものである。
四、次に原判決は、控訴人の「行政庁の処分権の認められていない法分野については、禁反言の原則を導入する余地はない」との主張を拒けて、禁反言の原則は、制定法上形式的には適法とされる行為であるにかかわらず、個別的具体的事情の下で、これを行なうことが法の根底をなす正義の理念に反する場合に適用を認められるものであるという旨を述べ、本件が禁反言の原則の適用のある事案であるとしている。
しかしながら、本来課税処分をすべきものに対して課税処分をすることは、私人が私人に対して貸金の返還を請求するようなことと全く異なつたことであり、国家地方公共団体の存立そのもの並びに活動と本質的に結び付いた行為であつて、絶対にこれを放棄することのできないものである。従つて、本件において誤つてなされた非課税通知行為を是正して課税処分をしたことは、単に制定法上、形式的に適法とされる行為という消極的な意義しかない行為であるに止まるものではなく、積極的に制定法上、形式的になさなければならない行為であつたものであり、また個別的具体的観点より見ても正義の理念に合致していた行為である。換言すれば、若し、本件において非課税通知行為が誤りであることに千代田税務事務所の係員が気付いた後になつて、なお、これを是正しないで非課税のままの状態にしていたとしたならば、そのような行為は制定法上、形式上単に適法でない行為たるに止まらず違法な行為であつたものであり、また個別的具体的観点より見ても正義の理念に反する行為であつたのである。従つて、本件は原判決のいうような禁反言の原則を適用すべき事案ではないものであり、この点において原判決はこの原則の適用を誤つているものである。
もつとも、被控訴人の立場より見るならば非課税であると信じていたのに課税されることは個別的、具体的には正義の理念に反することになるという主張が生ずるかも知れない。けれども、前述のように被控訴人は法律の規定の解釈を誤つていたに過ぎないものであるから、たまたま法律の規定のとおり課税されることになつたことをもつて個別的具体的に正義に反することを強いられたことになるものではない。また、仮に一歩譲つてそのことが被控訴人に不利益をもたらしたことになるとしても、その際には被控訴人としては、例えば原因を与えたものに対して損害補填を求める等の手段によつて十分にその救済を求め得るものであるから、その不利益を受けたことをもつて直ちに課税処分をするのは本件個別的、具体的事情の下で正義に反するとなすことはできないところである。原判決は、この点を極めて安直に「被控訴人の不利益即個別的具体的正義違反」としているものであり、明らかに誤つた考えに立つているものである。
五、以上要するに、課税処分のように極めて公益性の強い行為について禁反言の原則を適用している原判決が誤りであることを、控訴人は主張するものであるが、次にこれを裏面より見ることとしよう。
若し本件と逆に事実上または法律上本来課税すべきでない事案について、国又は地方公共団体側が事実誤認または法令誤解のために課税すべきであると信じ、人民の側もそのように信じたため、双方善意の下に課税し納税したときには、後になつてこれを是正することが許されるであろうか。
この際、原判決がこのようなときには本件事案と異なつて禁反言の原則の適用がなく従つて是正することが許されるという趣旨を含んでいるとするならば、それは人民の利益のためにのみ、或るときは禁反言の原則の適用を認め、他のときには適用を認めないこととなり、明らかに論理の一貫性を欠くこととなり、不公平に人民を有利にし、国または地方公共団体を不利にすることとなり、且つ公益よりも私益を重く見ることとなり、明らかに不合理である。
また、この際、原判決が、このようなときにも、禁反言の原則の適用があり、従つて是正することが許されないとする趣旨のものであるとするならば、そのようなことは明らかに理論上間違つているものであり、行政実務上もとられていないことである。すなわちこのような事案においては、仮に人民にのみ責めらるべき余地があつたとしても過誤納金を還付することが理論上正しいのであり、また実務上の取扱いでもあるのである。
このことよりすれば、課税に関しては、過去の言動に誤りがある以上は、そのことを信じたことにより国または地方公共団体が利益を受けたにせよ、人民が利益を受けたにせよ、禁反言の原則を通用することなく、法律上本来あるべき姿に是正することこそ、正当なことであることがわかるであろう。
この見地よりしても、原判決が誤りであるといわねばならない。
六、更に進んで考えるのに、若し課税処分についても禁反言の原則が適用されるということになると、次のようなことが生ずるのである。
一般に、例えば千代田税務事務所長のような行政庁は極めて大量な課税処分をするものであるが、その際課税処分をなすについては担当係員が、その決裁文を起案し、その上係長、課長を経て、所長の決裁をとることとなるものであり、その後において行政庁たる千代田税務事務所長名で賦課処分がなされるに至るものである。ところが、この経過において、個個の課税処分について詳しい実体調査をするのは、当該担当係員か、たかだか係長であつて、課長以上のものは経常的なものについては個々的に詳しい実体調査をすることがないのが実情である。
同じことは、非課税の通知についてもいえることであつて、特定の者が非課税に当るかどうかの詳しい実体調査は当該係員や係長がこれをなすのであつて、課長以上の者は個々的な詳しい調査をしないのが普通である。
そこで、その際、当該係員や係長が非課税でないものを非課税と誤認または誤解し、課長や所長がうかつにその誤りを見落すことも生ずるであろう。その結果、非課税通知が発せられたとしたならば、原判決の筆法によればその総ての場合に禁反言の原則が適用されることとなり、明らかに実情にそわないこととなるであろう。
更に例を変えて、この際、若し当該担当係員が相手方と謀つて、非課税に当らぬのに非課税であるとする決裁を得て、これを相手方に通知したならば、どのようになるであろうか。
原判決のいうように、課税処分に禁反言の原則が適用されるとするならば、このようなときにも、行政庁は以後これを是正して課税処分をすることができなくなるであろう。
もつとも、このようなときには、当該係員と相手方が通謀していたことを行政庁側が主張立証すればよいという反論が出るかもわからないけれども、通謀のあつたことを立証することが極めて困難であることは裁判の実務にたづさわる者のひとしく認めるところであろう。してみれば、実際上の結果としては、相手方は本来納むべき税を免れることとなり、行政庁側は本来徴収すべき税を徴収し得ないこととなるであろう。
もう一度例を変えて極端な事案を考えて見よう。課税処分についても原判決のいうように禁反言の原則が適用されるとなると、そのことが悪用される可能性が出て来るであろう。すなわち課税事務担当係員によつて、または更に進んで甚しくなれば行政庁たる市町村長等自身によつて作為的に非課税通知がなされ、その結果禁反言の原則によつて、本来納税すべき者が税を免れるに至ることが予想され、若しこれが多発するとすれば、国、地方公共団体の財政の基礎が禁反言の原則のために根本的に危殆に瀕することも起りかねないであろう。
ここにおいて、われわれは、法律が租税に関しては、原則として行政庁に裁量権を与えていないこと、即ち、課税処分が典型的な覊束行為とされていることの意義を再び認識することを要するのである。そして、これには、法律上賦課徴収すべき税は絶対に賦課徴収すべきであつて、課税担当吏員の故意や過失によつて賦課徴収できなくすることが許されない意義が含まれていることを理解すべきである。
課税処分に禁反言の原則を適用することを認めると、前述のようにそれが悪用されて国、地方公共団体の財政が危殆に瀕するに至る可能性があるが、課税処分を覊束行為とする法の制度は、行政庁の裁量によつて税を不徴収にする等、単に国、地方公共団体の損失となる行為で現実になされる行為の効力を認めないということだけを意味するのではなく、悪用されることによつて、国、地方公共団体の損失を発生せしめる可能性のある原則の適用をも認めないということをも意味することを理解すべきである。
七、原判決は課税処分についても禁反言の原則が適用されるとしたうえで、<1>本件においては非課税決定をするについて控訴人側にのみ責めらるべき余地があり被控訴人側になんら責めらるべき余地がなかつたこと。<2>非課税通知を信ずるについて被控訴人に無理がなかつたこと。<3>非課税通知を信じた被控訴人が後の課税処分により不利益を受けていること。<4>千代田税務事務所長が非課税通知を是正するについて具体的切実な公益上の要請があつたと思われないこと等を認定して、これに禁反言の原則を通用している。
前述のように課税処分に禁反言の原則を適用することは誤りであるから、これらの諸点については反論を加える必要を見ないのであるが、念のため一言言及する。
本件において、非課税通知が発せられるに至つた最大の原因は、控訴人側と被控訴人側の双方が地方税法第三四八条第二項第九号の規定を誤解していた点にあることは明らかである。その点よりすれば双方共に責められるべき余地があるのであつて、原判決のいうように控訴人側だけに責めらるべき余地があつて、被控訴人側に責めらるべき余地がなかつたものではないのであり、また非課税通知の有効を信ずるにつき被控訴人側に無理がなかつたとすることもできないものである。原判決はこの点を片面的にのみ把えているものであつて不当である。非課税通知を発するに至る当初より控訴人の千代田税務事務所の係員らが絶えず被控訴人に対して好意的であつたのであり、被控訴人をして納税せしめない方法があれば、そのようにしようと努力したのであるが、法律の規定上どうしても納税せしめざるを得ないとの解釈に到達したため止むを得ず被控訴人に対して課税するに至つたものであることを合せ考えるならば一層そのことがいえるものである。
この点に関し原判決は、非課税通知が千代田税務事務所長や課長の決裁を経て発せられていることを重視しているようであるが、前述のとおり、所長や課長も時としてうつかりその誤りであることを見落すこともあり得ることであり、且つ人間としてはそのようなことも避け得ないことであるから、このことをもつて右のような認定をするのは不当である。
次に原判決は、非課税通知を信じたために、被控訴人は財政的に打つべき手を打たずして不利益(損害)を受けたという旨を述べているが、損害を受けた事実の存在は疑わしいことであるのみならず、仮に損害を受けたとしても、その損害は、非課税通知とは相当因果関係に立つものではないことが明らかであるから、これをもつて被控訴人の税を免れしめる理由となすことはできないことである。なお被控訴人が損害を受けたとしたならば、別に原因者に対して補填を求めるか、または教育行政上の補助を受けるかしてこれを補填すべきであつて、その補填に代えて本来納むべき税を免れしめる措置を許すべきではないものである。
千代田税務事務所長が非課税通知を是正するについて具体的切実な公益上の要請があつたとは思われないとする原判決の考えは全く独自の見解という外はない。誤つた非課税通知を是正して本来あるべき姿にかえして納税せしめることこそ、何にもまして強い公益上の要請なのである。